7K4BWY略歴

 2010-07-17
"King of hobby" アマチュア無線開局までのお話

現在の私
運用周波数 :1.9~50MHz
運用モード :CW、SSB、RTTY、サテライト(稀に)
第1級アマチュア無線技士
第1級陸上無線技術士

1962年(昭和37年):福島県田村郡三春町生まれ、高校まで田村郡船引町(現 田村市)で育つ。

幼稚園時代
自宅隣にあった某幼稚園(当時福島県では最大の私立幼稚園だった)でタイヤ転がしをして
毎日遊ぶ。家が近すぎて乗れなかった送迎バスに乗りたくて、休みの日に園長先生に頼ん
で園庭を走ってもらいました。

小学生時代
CB無線が流行っていて親に無線機を買ってほしいとねだったが、アマチュア無線の免許を取って
無線をやれと言われ、電話級取得を目指すも√8=2√2がわからず挫折・・・、
この頃National(現Panasonic)のRJX-601がCQ誌の表紙を飾る。
サッカー、合唱、鼓笛隊と3つ掛け持ちしクラブ活動は一生懸命だった。

中学生時代
野球部(諸事情により退部)→柔道部(腰を痛め退部)→陸上部(駅伝メンバー)と渡り歩く。
今はやりませんが中・長距離・マラソンの駆け引きが好きで陸上番組はよく見ます。
箱根駅伝はその一つで5区(山登り)、6区(山下り)を特に好む。

高校生時代
部活は入らず、家と学校の往復で3年間を過ごす。

大学生時代
千葉の某大学に入りJR幕張駅近くの「小島荘」で下宿生活を始める。
下宿生活は満喫したが、学生生活はイマイチ。
今は幕張メッセなどで有名な幕張界隈ですが、当時は京葉線を作るための埋め立てをしてました。 
当時の話題と言えば・・・
 ・東北新幹線が大宮始発で開業、タバコを立てても倒れないというのが開通時のウリ。
 (上野-大宮間はリレー号で接続)
 ・早稲田大学が幕張に移転するかも?という話もあったなぁ
昭和59年に特殊無線技士(レーダ)を取得。
昭和60年に電話級アマチュア無線技士の資格をとるも開局せず。

社会人時代
鎌倉市の工場に配属される。
人工衛星のシステム設計に従事。
仕事は潤沢にあり、帰宅がほとんど午前様。
そんな状況のなか、入社9年目(平成6年)
平成6年10月 第2級アマチュア無線技士国家試験受験(合格)
平成6年12月 第2級アマチュア無線技士免許取得
平成7年7月20日開局

当時の覚書き(長文です)
資格をとろうと思ったきっかけは特にありませんでしたが、漠然とどうせとるなら上位資格をとって
開局したいと思い、2アマ受験を決意しました。
帰宅が午前様なので勉強はいつもそのあと、2時間程度毎日勉強しました。
このときは久しぶりに自発的に勉強したなあ~。

途中から欧文モールスの勉強も開始。
単語カードの表にAと書き、裏に・-と書く方法でまず英数字を頭に叩きこみ、
そらで符号と記号が浮かぶようになってから2アマ用欧文対策テープ(45字/分)を聞き始めました。
最初は早過ぎて全く聞き取れませんでしたが、とにかく30分程度毎日聞きました。
しばらく聞いていると不思議なことに少しずつ聞き取れる部分が出てきました。
4ヶ月ぐらい毎日聞き続けたような気がします。

試験前の状況は、
無線工学と法規は文句なし、モールスもある程度自信がありました。
午前中の法規は満点に近いできでした。
午後一でいよいよ3分間の欧文モールス受信試験。
出だしは好調でスラスラと鉛筆が走りました、ところが試験開始中ほどで突然聞き取れなくなり、
鉛筆が止まってしまいました。
気持ちを落ち着かせることに集中しましたが、空白時間がものすごく長く感じた気がします。
しばらくして再び聞き取れ始めたので、試験用紙に英文を書き試験終了。

この後の無線工学もほぼできて全ての試験が終了しました。
はたして「合格」か「不合格」かモールスが不安で、11月末に結果が届くまで本当にわからなかった。

11月終わりに日本無線協会から無線従事者国家試験結果通知書のはがきが届きました。
恐る恐るはがきを開いてみると「合格」の2文字。
このときは嬉しいというより約5ヶ月間勉強したことが報われホッとしたというのが正直な気持ち。
その後免許取得の手続きを行い、平成6年12月16日第2級アマチュア無線技士免許を手にしました。

なぜかすぐには開局せず免許状を手にしたのは翌年の7月20日。
開局するのに揃えた設備はKENWOODのTS-690SATとVA30(7、21、28MHz用アンテナ)
電源はDIAMONDのGS-3000SV(30A)。
10日間ほど7MHz SSBをワッチしました。

当時、夜中の1時頃には毎晩 福岡のJA6FKY 内堀OMがQRVしてらっしゃいました。
信号も強く、常に59オーバーで入感。
話し方に品があって感じのいいおじさんだったので、初QSOはJA6FKYと決めました。
ドキドキしながら7/31の02:09(JST)7MHzSSBでJA6FKYをコールしました。
ところが帰ってきた返事はQRZ? こんなに強く聞こえてるのに・・・・
もう一度コールするも今度は「7Kかな?」
3回目でやっとコールサインをとってもらいましたが、RSレポートは55。

よくよく聞くと500W出力+33mhの八木アンテナを使っているとのことだった。
こちらは50W+マンションベランダ2階設置の短縮アンテナなので仕方ありません。
55というレポートを送ってくれましたが、本当は45程度だったと思います。
こちらの送信内容はすべてコピーできないようで私のファーストQSOはあっけなく終わりました。

DXを夢見ての開局だったが現実は厳しかった。
アパマンハムということもあってアンテナは全て短縮型。開局当初は7MHzSSBをやっていたが、
思うようにQSOできず好きな無線をやっているのにストレスが溜まる。
そのうち7MHzは弱肉強食のバンドであることに気づきそれ以降7MHzはQRVしなくなりました。

リグに50MHzがついているのにQRVしないのは勿体ないと思い、
ベランダにサガ電子のSD-660を設置、初めて50MHzを運用することになります。
のちにメインバンドとなる50MHzでの初GSOは平成7年11月5日15:21の7M3TDLとのQSO。
当時11月にはKENWOODのQSOパーティがあり、津久井郡城山町(城山湖)から50MHzで参加。
モービルホイップアンテナながらプチパイルを経験し徐々に50MHzにはまっていくことに・・・
50MHzはどんなに弱い信号でも聞こえていれば必ずQSOできるということがわかった。
この頃からカスカス信号を聞くクセがついたかもしれない。
弱い信号を拾ってもらいQSOできた時のうれしさは格別だった。

モービルホイップでの移動運用をしばらくしていたが、2エレHB9CVの購入を機に
さらに世界が広がっていいきます。
モービルホイップと比べ、遠くまで電波が飛んでいき、また遠い局からも呼ばれる。
2エレHB9CVの購入が、本当に50MHzにドップリ浸かっていくきっかけとなりました。

アパマンなので自宅から電波の飛びを良くするには限界があり、移動運用の設備をグレードアップ
していくことになります。
2エレの次は4エレHB9CVを購入し移動運用にも力が入ります。
4エレHB9CVはゲインが10dBiほどあったので、condxのいい時はスキャッターQSOも楽しめました。
この4エレHB9CVは、現在も使用してます。

移動運用している局に設備を尋ねると6エレ、7エレ八木を使っている人が随分いました。
自分も6エレ八木を使ってみたいと思いカタログを見ると、ゲイン3dBup、重量約3倍。
これでどれだけ飛びが良くなるのか???でしたが、これも皆さんの例にもれず
フジインダストリーのポールとクリエイトの6エレ八木を新規に購入し、移動運用で使用すること
になります。
4エレに比べると弱い信号が今までより若干強く聞こえグランドウェーブの交信には有効でした。
一方で器用でない私にとってアンテナの設営・撤収は結構苦痛だったので、かなり気合を入れて
移動運用する時以外は殆ど使用しませんでした。

その後、神奈川県内の低山山岳移動運用もするようになりました。
2エレHB9CVを改良し重量軽減、アルミパイプのスライド化で組み立て時間の短縮。

山岳移動スタイルは4.5mポールに改良2エレHB9CV、リグはTS-60D(25W機)または
FT-690MK2+FL6020(リニア10W)、電源は7.2Aのシールドバッテリーの構成。
ほかに食糧、水分等含めると10kg程度の重さになり、体力のない私は標高数百メートルの
低山移動が限界でした。
一番高いところに行ったのはふもとから頂上までロープウェイで行ける箱根駒ヶ岳。

その後・・・
2010年4月10日 第1級アマチュア無線技士国家試験を受験(合格)
2010年4月16日 鹿児島県阿久根市に赴任。
2010年6月11日 第1級アマチュア無線技士免許証を手にする。
  ~2017年3月 鹿児島県阿久根市を拠点に九州各地から運用。
        この間WACA、WAGA、WAKU(いづれも鹿児島県特記)完成。
2017年4月   常置場所復帰
        アパマンなので釣竿アンテナで細々と運用中

最後まで読んでいただきありがとうございました。
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